開運出世【不動尊】灯篭
天保7年石州浜田より松平周防守康爵殿来りて棚倉城主となる山本不動尊の信仰厚く嘉永年間には灯篭一対・山号額を奉献
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棚倉城主十五代松平家四代目松平周防守康英公殊の信仰厚く、行者となって登山、日々立身出世を祈願なされたそうです。果たせるかな慶応2年白河移付を命じられましたが中止となり、同年に川越城主へ禄高八万四千四三石で移付となりました。これすなわち不動明王の霊験のいたす所として、世人斉しく感服し、称して開運出世不動尊といわれる由縁でもあります。