開運出世【不動尊】灯篭


 天保7年石州浜田より松平周防守康爵殿来りて棚倉城主となる山本不動尊の信仰厚く嘉永年間には灯篭一対・山号額を奉献 

献上石灯篭刻銘を見ると
従五位下周防守源朝臣康爵
千時 嘉永2年己酉年3月28日
山号額刻銘を見ると
『不動尊』 康爵書

 松平周防守康爵殿 安政三年隠居後も不動尊を崇敬し、元治元年には、護摩仏具を奉納される。

ここに仏具裏面の刻銘を記しますと
献備 北山本邦御来山下不動明王尊前
松平弾正少弼源朝臣康爵
室 稲葉氏泊ス子
元治開元甲子仲秋吉祥日

 棚倉城主十五代松平家四代目松平周防守康英公殊の信仰厚く、行者となって登山、日々立身出世を祈願なされたそうです。果たせるかな慶応2年白河移付を命じられましたが中止となり、同年に川越城主へ禄高八万四千四三石で移付となりました。これすなわち不動明王の霊験のいたす所として、世人斉しく感服し、称して開運出世不動尊といわれる由縁でもあります。